プルクデル・クンタン|インドネシアのポテト・フリカデル

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Perkedel Kentang|Potato Frikadel/Frikadeller


プルクデル・クンタン|インドネシアのポテト・フリカデル

プルクデルは、オランダ料理の影響でFrikadel/Frikadeller←コレは挽肉料理
から派生したとか。

プルクデル・クンタン(ジャガイモ)は
衣のないポテト・コロッケみたいな感じ。

でも、衣が付いたコロッケもKroket Kentangクロケット・クンタンと
呼ばれて売られてる。中身は鶏肉だったり、アボンが入ってたり。
(アボンは味付した肉や魚を細かく裂いたもので、日本の田麩でんぶやおぼろ風の食材)

だけど、何にでも小さな激辛青唐辛子が
必ず添えられてるのがインドネシア流。

作り方|
素揚げしたジャガイモを粗くつぶして、
バワンメラ(赤小タマネギ)+ニンニク+牛挽肉←をまとめて炒めたもの+
スープセロリ+ワケギ+塩+ホワイトペッパー+ナツメグを加え
丸く形を作ったら、薄力粉をティーストレーナーで軽く振り
溶き卵を薄く付け、180℃くらいの油で色付くまで揚げたら出来上がり。

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↑この日はブリのリチャリチャと一緒にごはんのおかずに

 

スープセロリが無い時はイタリアンパセリやセロリの葉で代用。
バワンメラが無ければバワンゴレン(揚げ赤小タマネギ)で代用。
お肉を使わず、クミリ(キャンドルナッツ)で旨みを付けたり、
溶き卵を使わずに薄力粉をまぶして揚げるレシピも。

サンバルや青唐辛子を添えて、他の惣菜と食べるのが一般的だけど
スープに落としたり、パンに挟んでサンドイッチにしても美味しい。

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8月17日はインドネシア独立記念日

戦争が遠い国の出来事では無いと感じるニュースが増えて
改めて日本の終戦とインドネシア独立記念日
近い理由を知った時の気持ちを思い出すのです。

350年に渡り老獪な手法で植民地として豊富な資源を搾取してきたオランダ。
アジアの開放を謳い、その実国土・資源を狙っていた日本。
多民族という弱点を共通言語の使用で団結し、
国家として独立を果たしたいと願うインドネシア

戦争というのは語る人の立ち位置で全く違ったものになる。


ある時、バリ島の北部、シンガラジャで暮らす母の元を
日帰りで訪ねるという知人夫婦の車に同乗し海沿いの町へ向かったのです。
奥さんの生家は、天井が高くモダンなコロニアル調の洋風な建物。

奥さんは当時40歳で年の離れた兄妹を持つ末っ子。
お母様は68歳。ふっくらして気さくな雰囲気で若く見える。
私にある歌を聞かせ、日本語の歌詞を紙に書いて欲しいと頼むのです。

ぼんやりした単語の端々から、それが日本の軍歌であろうということは
分かったのだけど何という歌なのか検討もつかない。
日本の統治下の名残で親兄弟が歌って聞かせたのかも。
日本人の私に会えば念願の歌詞が聞けると期待していたよう。

そんな残念がるお母様に「花」を一緒に歌いながら教えた。
「いつの日か 花をさかそうよ 」ってアレですね。
曲もゆっくりで歌詞が少ないから覚えやすいかと思って。


その数年後、ローカルの食堂へ晩ごはんを食べに行った時のこと。
顔馴染みの店員が料理を並べながら言う。
「あなた達が日本人かと聞かれたわ」
するとこちらを向き、軍歌を歌い出す4人ほどのおじいちゃん達。
私は、軽く微笑み会釈して返した。
それが10数年前の事。

日本がインドネシアを統治していたのは僅か3年半ほど。
彼等にとって60余年は遠い昔のことではない。

一緒に晩ごはんを食べていた友人は
「どうしてバリ人が軍歌とか歌えるのかな?すごいねえ」と驚く。

旅行好きな彼女はグルメとショッピング、マリンスポーツ、
SPAマッサージが目当て。
グアム、サイパン、ハワイ、パラオ、沖縄、同じ場所には通わない。
過去のことにも未来のことにも興味が無い。
今を楽しむことが大事なのだ。

「日本人はお金をたくさん落とすから、彼等には良いお客さんなのよ。
だからどこの国でも歓迎される」
と彼女は言う。

何を思い、何を感じるのかは自由。
同じ言語を使っていても向いている方向が違えば言葉など意味が無い。

スカルノ、ハッタ、ングラライ。
独立の英雄達は空港の名前に名を残し、お札に描かれ島内に彫像が建つ。

観光ガイドは通り過ぎる車中から言う。
「この辺りにはゴア・ジュパンと呼ばれる日本兵が掘った防空壕があります」
二年前、インドネシア独立戦争に尽力した
最後の残留日本兵と言われる男性が亡くなった。

日本の敗戦を知っても尚、自らの意志でインドネシアに残り
一度は日本軍に敗れて撤退したオランダ軍が、再びインドネシア
統治しようと攻めてきた時、共に戦い最前線に立ち
遠い異国で命を落とした人達が少なからずいたのです。

不利な負け戦に立ち向かうものに共感し英雄視する判官贔屓
昔から好きじゃないから、忠臣蔵新選組もドラマや映画は観ない。
美談、同情、哀惜ではなく、死ぬ確率の方が高い道を
何故選んだのか、その心の動きがとても気になるのです。

日本が示した独立支援という建前、美しい嘘を現実にするため、
行動を共にした仲間のため、現地で出会った新たな家族のため、
動機は様々でもそこに生きる意味を、状況に抗い
勝ち取るために死ぬ意味を明確に見出した。

自分が何のために生きるのか分からず、ただ与えられた環境の中で
せめて心穏やかに過ごしたいと願い日々を過ごす私には、
自分の意志で何もかも捨て、身一つで目的を持って生きた
彼等の潔さがうらやましくもある。


ささやかな娯楽を与えられ、目隠しされ、
耳障りの良い嘘を聞き(って言うか、ここ数年は特に色々酷すぎる)
真実を聞かぬふりをして、ゆるやかに谷底へと流されていく。
それを分かっていながら、状況に甘んじてる自分。
(どうしても嫌なものからは距離を置いているけど、微々たるもの)

急激な経済成長と発展を遂げるインドネシア
物は溢れ、一見して豊かになったように感じるけれど、
資本主義経済による搾取で貧富の差は更に広がっている。
お金が無いというだけで、助かる病でやすやすと命を落とす。
国家の支配から経済による支配へと対象が移っただけじゃない?

今現在の日本、インドネシアの姿は彼等が願った理想・未来に
近付けているのだろうかと考えずにいられないのです。

 

インドネシアの独立戦争に寄与した残留日本兵 
バリ島在住の吉井洋司さんによる詳細なまとめ記事|
分かりやすく整理され、読み応えのあるサイト。
日本人の目から見た独立戦争だけでなく、インドネシア人が学校で
どの様に歴史を学んでいるかといった客観的な視点もあり充実した内容。

www.suzaku-s.net

東部ジャワの日本人部隊――インドネシア残留日本兵を率いた三人の男

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